-福傳寺の寺宝-

 1.かくれ念仏と福伝寺

 

日置市吹上町の伊作城に生まれた第十七代島津義弘は慶長二年(一五九七年)
二月二十二日、真宗の信仰を禁止するおきてを発布しました。


理由としては諸説ありますが、一向一揆によって北陸の大名が国を失い、織田信長、徳川家康などの有力大名を苦しめたことを知り危険を感じ、また真宗のみ教えが「阿弥陀如来の前では全て生きとし生けるいのちは尊く等しい」という平等思想が当時の封建社会に相そぐわなかった等の理由が考えられます。


 明治九年(一八七六年)九月五日、念仏が許されるまで過酷な弾圧の歴史が続きました

真宗の信者とわかると、捕らえられ拷問を受けることとなり、薩摩藩では「石抱き」という拷問が行われました。三角の割木を並べた上に正座させ、膝の上に約三十㎏の平たい石を一枚ずつ重ねていき、体を前後に揺さぶり石が五枚くらいになると足の骨は砕け絶命することもあったといいます。その他にも転宗を誓わす「胸替え」、「身分の格下げ」、「辺鄙な土地への移住」などがありました。(薩摩国諸記)


 現住職から五代前、お番役であった仁八は、明治七,八年頃捕らえられ石抱きの拷問を受け足の骨を砕かれ明治九年九月、信仰自由となって出獄しますが後遺症により翌十年四月五十五歳で往生しました。


 ここ福傳寺に於いては、かくれ念仏の中心として約三百年に及ぶ弾圧の中で命を懸け護り伝えられた信仰を受け継いでおります。

 

  2.薩州御煙草講中宛古文書

 

 宝歴八年(一七五八年)の年号が入ったわが国最古のかくれ念仏の古文書

 

-納骨堂 ご案内-

↓クリックでご覧になれます

-福傳寺 シェア-

↓クリックでリンクできます